水墨画家 中野素芳

Soho Mind

中野素芳の作品制作は、まず心の中を「 無 」の状態にすることから始まる。 最初の時点ではどのような作品になるのかは知る由もない。

彼女は揮毫に対して、絵を描くのではなく描かされると表現する。 それは日々日常の生活から自身の内なる部分に蓄積されたモノに、 その時の一瞬のひらめきを融合させ、気を高めた状態から一気呵成に描き上げる。 もちろん下書きはせず、純白の紙面にいきなり純黒を注ぎ込む。 雑念を捨て精神を集中し溢れ出す感性のしずくを紙面に迸らせる。 この叙情的な作風は、とても写実的な彼女の心象風景を映し出す。 彼女のこの揮毫スタイルを見る限り、「天に描かされている」と表現する意味が判る気がする。

素芳は作品を磁場の高い山麓にこもり制作する。 その「気」が満ちるアトリエは彩り鮮やかな緑多き場所に位置するが、 そこで生まれる彼女の作品には、目で見ることの出来る色は黒と白しかない。 しかし、そのモノトーンの作品を観る者には墨色の黒から白へのグラデーションの中に すべての色を感じさせるのである。 彼女の言う「墨に百彩有り」である。

素芳は道具にもこだわる。 文房四宝(筆・墨・硯・紙)は、最高のものを惜しげなく使っていく。 筆は日本有数の産地、広島県熊野製。伝統工芸士が素芳のために特別に作った純鼬(イタチ)筆を使用。 墨は鈴鹿の超微粒子古青墨。 紙は、にじみ・墨色がきれいに出る福井産の純手漉き麻紙。 墨・紙ともに製造されてから年数が経っている(枯れている)ものを使用している。 なぜなら、墨の粒子中の残留水分・紙の繊維中の残留水分が少ないほど、良い墨色と味わいが出るからである。 硯は何種類もの古硯(端渓硯・歙州硯・澄泥硯など)を使い墨を磨り合わせている。 硯を変えることにより磨り下りる墨の粒子の変化が墨色に何とも言えない深みを与えるのである。 しかし、この硯石は素芳にとって墨をするための物だけではない。 「墨を磨る」というのは瞑想をする時間であり、精神を安定させ、神経を集中し、 気を高めるための時間であり、良い硯はそのためのより良い道具なのである。

素芳の活動は、自身の作品を制作するだけに留まってはいない。 小学校・中学校から、老人ホームまで絵を描くことにより感性を養うボランティアを行っている。 ショップの装飾デザインを手掛けたり、さまざまな有識者を招いての文化講演会を企画したりと、 この多岐に渡る彼女の活動が、作品制作の原動力になり、彼女自身の感性を育む結果になっている。

素芳は、幼少期に厳寒の樺太で過ごし、成人してからは人の生死に携わる看護師として、 そしてその後、水墨画家として現在に至っている。 その波乱に満ちた怒涛の人生と生まれながらに持っている高い感受性が今の水墨画家中野素芳を形作っている。

プロフィール